火遊び

ぼくは父の仕事の都合で、子どもの頃を台湾で過ごしました。
当時の台湾では、お祭りやお祝いがあるたびに、街のあちこちで爆竹の音が響き渡っていました。

爆竹は一年中、どこでも手に入りました。駄菓子屋のような小さな店では、爆竹だけでなく、地面に叩きつけると爆発するかんしゃく玉、空きビンから発射するロケット花火、火花を勢いよく吹き上げる「ドラゴン」(そんな名前だった気がします)なんてものまで売っていたんです。
小学校に上がるころ、ぼくは完全に花火に夢中でした。
近所に友だちがいないこともあって、ひとり遊びの相棒はいつも花火。台湾の空気もあってか、爆竹やかんしゃく玉を鳴らしても誰にも怒られませんでした。

中でも一番のお気に入りは爆竹。
導火線で20個ほどの小さな爆竹が連なっていて、火をつけると「ババババッ!」と連続で破裂する仕組み。
でもぼくは、そこにちょっとした工夫をしました。
一個ずつバラし、短い導火線に点火して手榴弾のように投げるんです。
空中で「パンッ!」と破裂する瞬間がたまらなくスリルで、ひとりで「うわ、カッコいい!」なんて思っていました。
ただ、何個かに一つは途中で火が消え、導火線も残らないんです。
そんな爆竹は捨てずにボンナイフ(子ども用の折りたたみナイフ)で胴体を裂き、中の火薬を取り出して遊ぶのがぼく流でした。

そしてある日――。
導火線がなくなった爆竹や、点火し損ねた花火から、大量の火薬を取り出すことに成功したんです。
コンクリートの上に山盛りにして、ぼくは胸を高鳴らせながらマッチを擦りました。
しかし、なぜか火がうまく点かない。
風のせいか、火薬が湿っていたのか…。
残りは、半分に折れたマッチが一本だけ。
短くなったそれを右手に握り、何度も擦り、ついに火がつきました。

――慎重に、慎重に。
火が消えないようにマッチの炎を火薬に近づけ、あと数センチ……。
その時です。

「しまった!」

そう思う間もなく、目の前が白く弾け、右手が光に包まれました。

一瞬、時間が止まったような衝撃。
次の瞬間、痛みではなく「ジーン」とした痺れが右手を走りました。
手のひらも甲も、燃え尽きた火薬の白い粉で覆われていました。
反射的に庭の水道に駆け寄り、左手で蛇口をひねって流水で冷やしました。
無我夢中だったけど、今思えば、あれは我ながらナイス判断でした。

そのあと母に連れられて病院へ。
治るまで何度も皮がむけて、しばらくは右手と左手の色が全然違っていました。
あの日の「白い閃光」は、今もぼくの記憶に焼き付いています。