貼りつけられた列車

マンガ雑誌のオマケだったのでしょう。

印刷された厚紙を切り抜いて糊付けし、組み立てると連結された3両か4両の列車が出来上がりました。
半日がかりで夢中で作り上げて仕上がったそれは、惚れ惚れする出来栄えだったように思います。嬉しくて翌朝は、早起きして小学校に出かける前にその列車で遊びました。
「ゴトンゴトン」と言いながらレールに見立てたベッドの手すりや絨毯の平原を走らせていたような。幼児の淡い記憶です。

前から眺め
斜めから眺め
後方から眺め
近づいては眺め
離れては眺めていました。
新しいお気に入り確定でした。
学校に行っても、授業中も頭を離れず、家に帰ると一目散に子供部屋に走り込みました。

なんということでしょうか!

そこで目に飛び込んできたのは子供部屋の壁の新しい装飾として丁寧に糊にはりつけられた私の列車だったのです。
2段ベッドの横で母がうれしそうに微笑んでいます。
母が気を利かせて私の列車を壁に飾ってくれたというわけです。
私はあまりのことにボーゼンとして、状況を理解すると涙があふれてきました。
そして、私は派手に泣きわめくことで、哀れな列車を壁から降ろさせました。

もちろん、時すでに遅しです。
糊でくっついていた列車の側面は糊の水分でふやけ波打ち、はがれたクリーム色の壁の塗装が付着して往時の姿はありません。
壁の方も列車の形に四角く表面がはがれて地が出ています。
母は昨日から私が列車を気に入ったのを見ていて、母なりのやり方で私の喜びを増幅させようとしてくれたのでした。

物事には良かれと思ってしたことが裏目にでることがあるけれど、その見本のような出来事でしたね。
でも、私にしてみれば、手塩にかけて羽化させた蝶が、帰ってみると標本になっていた。
そんな衝撃です。
家族であっても人それぞれでものの感じ方はぜんぜん違うんだ。
そんな哀しさの理解につながる人生初期の一コマでした。

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